第5日:ア・コルーニャでパンデイレタと歌のレッスン

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6月27日(月)、今日はそれなりの移動距離になった。朝ゆっくり起きてサンシェンショからポンテベドラへバスで移動、ポンテベドラからサンティアゴまでが電車、サンティアゴの駅から家に歩いて帰って、シュルショへのお土産を持って、家から10分ほどのサンティアゴのバスターミナルへ行き、バスでア・コルーニャへ。

 

ポンテベドラはバスターミナルと駅が隣接しているけれど、サンティアゴでは2.4kmくらい、歩いて30分以上の距離がある。バスはガリシア各地へダイレクトに行けて便利なのだが、私は車酔いしやすいのでできれば鉄道のほうがありがたい。それでも、サンティアゴア・コルーニャ線のバスは自動車専用道を走るので揺れが少なく快適だった。車内にwifiもあるしね。

 

師匠のシュルショの住む町、ア・コルーニャは半年ぶり。バスターミナルに着くと懐かしい風景があって嬉しさがこみ上げる。まずは、師匠の叔父さん夫婦がやっているタベルナ「セテ・クンカス」へ寄る。

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去年のクリスマスもここでシュルショとシュルショの親戚に混ぜてもらって過ごさせてもらったし、よくしてもらっている。料理人のハビエルはちょっと強面だけれど、厨房ではまるで哲学者のたたずまいで、食べ物が美味しい料理に変わるタイミングを外さない。ここの料理は私の口に合う。変な言い方かもしれないけれど、レストランの味というより、自分の家の料理みたいな感じなのだ。去年の暮れにいただいたイカとジャガイモの煮込みはすんばらしく美味しかった。

 

運良くシュルショの叔母さんのベゴーニャと叔父さんのハビエル2人とも店にいて再会できた。昨日のサンシェンショのビデオを見せて大笑い。おしゃべりしているうちにレッスンに遅れそうになり、走る!今日のレッスンはGaiosoというカルチャーセンターで。シュルショはガリシアのあちこちで定期的なグループレッスンをしているので、その合間をぬって私のレッスンの場所もまちまち。Gaiosoの目の前のタパス・バル「クルクマ」はシュルショの生徒のパトリシアのお店。ここはちょっと見た目も味もお洒落な感じ。2年近く行けていないが、今度の滞在中にまたここで食べたいなあ。

 

レッスンの前にシュルショにお土産を渡す。ガリシアではみんなにとてもよくしてもらうので、日本から来る前は毎度ウンウン悩んでそれぞれの人へのお土産をあれこれと買い込んで来る。行きのスーツケースの30%以上がお土産なんじゃなかろうか。今回は3人に竹でタラニョーラ(いわゆるボーンズ)を作って持ってきてみた。残念ながらシュルショはタラニョーラはやらないんだそうだけど、練習してみると言ってくれた。アジアならではの素材の音を楽しんでくれたら嬉しい。

 

シュルショへのもう一つのお土産は我が町、葉山の日影茶屋のフリアン。日影茶屋の商品は何かと絶妙のバランスで、しつこくないし甘すぎない。小ぶりなのに一個食べると満足感がある。私ってばうっかり前回と同じものをあげてしまったようなのだが、シュルショ、「これ好きなんだ。特にこっち(西京味噌のほう)。一度見ちゃったからレッスンが終わるまで我慢できない。今食べていい?」とレッスン始まってるけどムシャムシャ。 シュルショって時々小学生の男の子みたいだ。

 

前置きが毎度長くてすみません。レッスンの話をしたかったのだよね。

 

ガリシアではパンデイレタpandeireta(スペイン語ではパンデレタpandereta)を叩きながら同じ人が歌うものなので、レッスンもパンデイレタと歌は大抵セットになっている。私はガリシア語がほとんどできないからグループレッスンに入れないし、たまにやってきて集中的に習うのでプライベートレッスンになる。レッスンは1回1時間。やることは3つ。最初にパンデイレタの基本パターンtoque。次に歌。次にその歌でのパンデイレタのパターン。それぞれ、前回までの復習をやってから、生徒の出来具合を見て新しいものを教えてくれる。

 

一昨日、昨日はふざけっぱなしのシュルショだったけど、レッスンでは一転して極めて真剣な先生になる。おまけに褒め上手。私は最近あまり練習できていなかったので、なんだかうまく叩けなかったのだけど、よくできてるよと褒めてくれる。昨日のような大騒ぎも楽しいけど、やっぱりレッスンの時間は貴重。今日はムイニェイラで変則的なアクセントを入れるパターンを新しく教えてもらった。普通にやればなんてことないリズムになのだろうに、この人がやるとどうしてこうもかっこいいのだろうなあ。シュルショのディテールへのこだわりが大きな違いを生んでいるのだと思う。

 

パンデイレタのあとは歌。まずガリシア語の歌詞カードをもらって、スペイン語で解説してもらって意味を頭に入れ、ガリシア語の発音を確認する。シュルショは生徒に渡す歌詞カードをつくるときは、年配の人たちが話す伝統的な発音になるように、例えば発音するけれど文字としては書かないところをイタリックで書きそえたり、記号をつけたりするなどして工夫しているのだと今日初めて聞いた。

 

長らくガリシア語が禁止されていた時代があって、今ではガリシア語も公用語になっているけれど、同時にスペイン語公用語になっているおかげで、スペイン語化した間違ったガリシア語、(あるいは皮肉を込めて「新しい」ガリシア語とも言うらしい)が若い世代の間に蔓延している。ガリシア人でさえ、間違ったガリシア語を話しているのだ。

 

シュルショはア・コルーニャ育ちの町っ子だけど、古い、田舎くさい(笑)、伝統的なものが好きで、ガリシア内各地の歌に触れながら、各地の言葉や発音を覚えた。ア・コルーニャでは古い歌を教えてくれる人がいなかったので、13歳のときから田舎へ行って知らない家の玄関をノックして教えてくれる人を探して歩いたという。今やどこへ行ってもその土地の話し方に合わせられるので、土地の人からよく聞かれるそうだ。「あんた、どこの生まれだ?」ー「ア・コルーニャです。」、「じゃ、あんたの親がここの出身か?」ー「いえ、親もア・コルーニャです。」、「じゃ、爺さん婆さんがここの出身か?」ー「いいえ、僕の祖父母もア・コルーニャ育ちです。」などというやりとりをするんだとくすくす笑いながら教えてくれたことがある。そんなふうに、シュルショは言葉や歌にはとても細かい。

 

今日はMuiñeira da Imendeの歌を教わった。ア・コルーニャノイセラの歌。先輩分のパンデイレテイラス・セン・フロンテイロス(PSF)のレパートリーでもあるはず。聞き覚えがあった。歌の節回しが変わっていて、途中に変則的なリズムが入る。ちょっと難しいけれど、やりごたえがある楽しい曲。歌詞はまたまた、ガリシアらしくブラックジョークだったり色っぽかったり。「畑の中をあなたがパンツを下げて私に向かって走ってきたあの日のこと覚えてないの?」って、歌詞がある、とほほ。「こういうのは日本じゃ歌わないの?ガリシアでは普通だよ」ってシュルショ。ー日本じゃそんなのほとんどないってば。それにしてもシュルショの歌の上手いこと。間近で丁寧に歌ってもらうと耳だけじゃなく体全体にビリビリと伝わってきて惚れ惚れする。

 

節回しは歌い手によって違うから、生徒は先生の口承で必死に習う。上級生のレッスンを見学していると、シュルショが何を直しているのかわからないときもある。ディテールまで学ばなければいけないが、レッスンの録音、録画は禁止だ。

 

録音して聞く、いわゆる「耳コピ」は便利だけれど、できるだけしないほうがいいと思う。耳コピはろくなもんじゃない。理由はいくつかある。まず、実際の歌と録音はそもそもなぜだか違う。そして、レッスンで先生は生徒が気がついていないところを直してくれる。一方、耳コピだと生徒が聞いて解釈したように頭に定着させてしまうから、気がつかないところは省略され、気に入ったところは大げさになってしまう。更に、録音していると思うとどうしてもレッスンへの真剣味が薄れて、その場で見るべき、聞くべきポイントを逃してしまう。

 

録音、録画をレッスンの外に持ち出させないというのには他の理由もある。フランコ時代が終わってガリシア音楽も復興するには、歌い続けた小さな村の女性たちだけでなく、村々を回って歌を収集し、記録し、教える復興の活動をした人々の努力も計り知れない。だから、「伝統曲」「民謡」ではあるけれど、それぞれの人が「収集」した歌はその収集した人、団体の準帰属物だというローカルルールがあるらしい。その辺は私にはまだよく理解できないところもあるけれど、多くの人がそう感じるにはそれだけの理由があるはずだ。

 

さて、歌を習ったあとに、その歌に合わせるパンデイレタのパターンをやるはずだが、今日は時間切れ。次のレッスンではパンデイレタと合わせるはずだから歌詞と節回しとを次のレッスンまでに空で歌えるようにしておかなくちゃ。

 

レッスン終了後、終電までもう少し時間があるので、近くのカンティーガ・ダ・テーラというコーラスグループの教室で行われるシュルショのバイレのクラスの見学させてもらった。このグループは創立100年を超える。独裁時代をどうやって生き延びたのだろうか。明日ガリシア自治州政府からこのグループが何かの表彰を受けると言っていた。

 

バイレのレッスンに行く途中シュルショに、できるだけ多くの歌を習って、PSFのみんなと一緒に歌いたいし、日本に帰ってライブやデモンストレーションをやるのに不自由のないレパートリーの数を早く持てるようになりたい。私がそう答えたら、「急いじゃいけない。歌じゃなくてスタイルestiloを学ぶんだ。歌なんか誰からでも習えるさ。」と言われてしまった。わかるよ。わかります。でも急がずにはいられない。楽しい歌、かっこいい歌、美しい歌が山のようにあるし、私ももう少しで50代。バイレを習ったり、日本からガリシアに通うのだって一体いつまで続けられるかわからない。ああ、ほんともっと若かったらいいのに。

 

夜10時の終電でア・コルーニャからサンティアゴへ、駅から30分歩いて帰宅。ふう。

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