第5日:ア・コルーニャでパンデイレタと歌のレッスン
6月27日(月)、今日はそれなりの移動距離になった。朝ゆっくり起きてサンシェンショからポンテベドラへバスで移動、ポンテベドラからサンティアゴまでが電車、サンティアゴの駅から家に歩いて帰って、シュルショへのお土産を持って、家から10分ほどのサンティアゴのバスターミナルへ行き、バスでア・コルーニャへ。
ポンテベドラはバスターミナルと駅が隣接しているけれど、サンティアゴでは2.4kmくらい、歩いて30分以上の距離がある。バスはガリシア各地へダイレクトに行けて便利なのだが、私は車酔いしやすいのでできれば鉄道のほうがありがたい。それでも、サンティアゴーア・コルーニャ線のバスは自動車専用道を走るので揺れが少なく快適だった。車内にwifiもあるしね。
師匠のシュルショの住む町、ア・コルーニャは半年ぶり。バスターミナルに着くと懐かしい風景があって嬉しさがこみ上げる。まずは、師匠の叔父さん夫婦がやっているタベルナ「セテ・クンカス」へ寄る。
去年のクリスマスもここでシュルショとシュルショの親戚に混ぜてもらって過ごさせてもらったし、よくしてもらっている。料理人のハビエルはちょっと強面だけれど、厨房ではまるで哲学者のたたずまいで、食べ物が美味しい料理に変わるタイミングを外さない。ここの料理は私の口に合う。変な言い方かもしれないけれど、レストランの味というより、自分の家の料理みたいな感じなのだ。去年の暮れにいただいたイカとジャガイモの煮込みはすんばらしく美味しかった。
運良くシュルショの叔母さんのベゴーニャと叔父さんのハビエル2人とも店にいて再会できた。昨日のサンシェンショのビデオを見せて大笑い。おしゃべりしているうちにレッスンに遅れそうになり、走る!今日のレッスンはGaiosoというカルチャーセンターで。シュルショはガリシアのあちこちで定期的なグループレッスンをしているので、その合間をぬって私のレッスンの場所もまちまち。Gaiosoの目の前のタパス・バル「クルクマ」はシュルショの生徒のパトリシアのお店。ここはちょっと見た目も味もお洒落な感じ。2年近く行けていないが、今度の滞在中にまたここで食べたいなあ。
レッスンの前にシュルショにお土産を渡す。ガリシアではみんなにとてもよくしてもらうので、日本から来る前は毎度ウンウン悩んでそれぞれの人へのお土産をあれこれと買い込んで来る。行きのスーツケースの30%以上がお土産なんじゃなかろうか。今回は3人に竹でタラニョーラ(いわゆるボーンズ)を作って持ってきてみた。残念ながらシュルショはタラニョーラはやらないんだそうだけど、練習してみると言ってくれた。アジアならではの素材の音を楽しんでくれたら嬉しい。
シュルショへのもう一つのお土産は我が町、葉山の日影茶屋のフリアン。日影茶屋の商品は何かと絶妙のバランスで、しつこくないし甘すぎない。小ぶりなのに一個食べると満足感がある。私ってばうっかり前回と同じものをあげてしまったようなのだが、シュルショ、「これ好きなんだ。特にこっち(西京味噌のほう)。一度見ちゃったからレッスンが終わるまで我慢できない。今食べていい?」とレッスン始まってるけどムシャムシャ。 シュルショって時々小学生の男の子みたいだ。
前置きが毎度長くてすみません。レッスンの話をしたかったのだよね。
ガリシアではパンデイレタpandeireta(スペイン語ではパンデレタpandereta)を叩きながら同じ人が歌うものなので、レッスンもパンデイレタと歌は大抵セットになっている。私はガリシア語がほとんどできないからグループレッスンに入れないし、たまにやってきて集中的に習うのでプライベートレッスンになる。レッスンは1回1時間。やることは3つ。最初にパンデイレタの基本パターンtoque。次に歌。次にその歌でのパンデイレタのパターン。それぞれ、前回までの復習をやってから、生徒の出来具合を見て新しいものを教えてくれる。
一昨日、昨日はふざけっぱなしのシュルショだったけど、レッスンでは一転して極めて真剣な先生になる。おまけに褒め上手。私は最近あまり練習できていなかったので、なんだかうまく叩けなかったのだけど、よくできてるよと褒めてくれる。昨日のような大騒ぎも楽しいけど、やっぱりレッスンの時間は貴重。今日はムイニェイラで変則的なアクセントを入れるパターンを新しく教えてもらった。普通にやればなんてことないリズムになのだろうに、この人がやるとどうしてこうもかっこいいのだろうなあ。シュルショのディテールへのこだわりが大きな違いを生んでいるのだと思う。
パンデイレタのあとは歌。まずガリシア語の歌詞カードをもらって、スペイン語で解説してもらって意味を頭に入れ、ガリシア語の発音を確認する。シュルショは生徒に渡す歌詞カードをつくるときは、年配の人たちが話す伝統的な発音になるように、例えば発音するけれど文字としては書かないところをイタリックで書きそえたり、記号をつけたりするなどして工夫しているのだと今日初めて聞いた。
長らくガリシア語が禁止されていた時代があって、今ではガリシア語も公用語になっているけれど、同時にスペイン語も公用語になっているおかげで、スペイン語化した間違ったガリシア語、(あるいは皮肉を込めて「新しい」ガリシア語とも言うらしい)が若い世代の間に蔓延している。ガリシア人でさえ、間違ったガリシア語を話しているのだ。
シュルショはア・コルーニャ育ちの町っ子だけど、古い、田舎くさい(笑)、伝統的なものが好きで、ガリシア内各地の歌に触れながら、各地の言葉や発音を覚えた。ア・コルーニャでは古い歌を教えてくれる人がいなかったので、13歳のときから田舎へ行って知らない家の玄関をノックして教えてくれる人を探して歩いたという。今やどこへ行ってもその土地の話し方に合わせられるので、土地の人からよく聞かれるそうだ。「あんた、どこの生まれだ?」ー「ア・コルーニャです。」、「じゃ、あんたの親がここの出身か?」ー「いえ、親もア・コルーニャです。」、「じゃ、爺さん婆さんがここの出身か?」ー「いいえ、僕の祖父母もア・コルーニャ育ちです。」などというやりとりをするんだとくすくす笑いながら教えてくれたことがある。そんなふうに、シュルショは言葉や歌にはとても細かい。
今日はMuiñeira da Imendeの歌を教わった。ア・コルーニャ県ノイセラの歌。先輩分のパンデイレテイラス・セン・フロンテイロス(PSF)のレパートリーでもあるはず。聞き覚えがあった。歌の節回しが変わっていて、途中に変則的なリズムが入る。ちょっと難しいけれど、やりごたえがある楽しい曲。歌詞はまたまた、ガリシアらしくブラックジョークだったり色っぽかったり。「畑の中をあなたがパンツを下げて私に向かって走ってきたあの日のこと覚えてないの?」って、歌詞がある、とほほ。「こういうのは日本じゃ歌わないの?ガリシアでは普通だよ」ってシュルショ。ー日本じゃそんなのほとんどないってば。それにしてもシュルショの歌の上手いこと。間近で丁寧に歌ってもらうと耳だけじゃなく体全体にビリビリと伝わってきて惚れ惚れする。
節回しは歌い手によって違うから、生徒は先生の口承で必死に習う。上級生のレッスンを見学していると、シュルショが何を直しているのかわからないときもある。ディテールまで学ばなければいけないが、レッスンの録音、録画は禁止だ。
録音して聞く、いわゆる「耳コピ」は便利だけれど、できるだけしないほうがいいと思う。耳コピはろくなもんじゃない。理由はいくつかある。まず、実際の歌と録音はそもそもなぜだか違う。そして、レッスンで先生は生徒が気がついていないところを直してくれる。一方、耳コピだと生徒が聞いて解釈したように頭に定着させてしまうから、気がつかないところは省略され、気に入ったところは大げさになってしまう。更に、録音していると思うとどうしてもレッスンへの真剣味が薄れて、その場で見るべき、聞くべきポイントを逃してしまう。
録音、録画をレッスンの外に持ち出させないというのには他の理由もある。フランコ時代が終わってガリシア音楽も復興するには、歌い続けた小さな村の女性たちだけでなく、村々を回って歌を収集し、記録し、教える復興の活動をした人々の努力も計り知れない。だから、「伝統曲」「民謡」ではあるけれど、それぞれの人が「収集」した歌はその収集した人、団体の準帰属物だというローカルルールがあるらしい。その辺は私にはまだよく理解できないところもあるけれど、多くの人がそう感じるにはそれだけの理由があるはずだ。
さて、歌を習ったあとに、その歌に合わせるパンデイレタのパターンをやるはずだが、今日は時間切れ。次のレッスンではパンデイレタと合わせるはずだから歌詞と節回しとを次のレッスンまでに空で歌えるようにしておかなくちゃ。
レッスン終了後、終電までもう少し時間があるので、近くのカンティーガ・ダ・テーラというコーラスグループの教室で行われるシュルショのバイレのクラスの見学させてもらった。このグループは創立100年を超える。独裁時代をどうやって生き延びたのだろうか。明日ガリシア自治州政府からこのグループが何かの表彰を受けると言っていた。
バイレのレッスンに行く途中シュルショに、できるだけ多くの歌を習って、PSFのみんなと一緒に歌いたいし、日本に帰ってライブやデモンストレーションをやるのに不自由のないレパートリーの数を早く持てるようになりたい。私がそう答えたら、「急いじゃいけない。歌じゃなくてスタイルestiloを学ぶんだ。歌なんか誰からでも習えるさ。」と言われてしまった。わかるよ。わかります。でも急がずにはいられない。楽しい歌、かっこいい歌、美しい歌が山のようにあるし、私ももう少しで50代。バイレを習ったり、日本からガリシアに通うのだって一体いつまで続けられるかわからない。ああ、ほんともっと若かったらいいのに。
夜10時の終電でア・コルーニャからサンティアゴへ、駅から30分歩いて帰宅。ふう。
第4日:サンシェンショのマーケットイベント
6月26日(日) 今日のマーケットイベント会場はシルガルビーチpraia de Silgarのすぐそば。Igrexa vellaに朝11時くらいに着くと、物販エリアのほうは先に準備が整って既に商売が始まっていて、飲食エリアは準備中。昨日書いたポスターも貼ってあった!
飲食エリアのほうは、イベントの主催者の地元の伝統音楽のグループ「アビニャドイラ」とア・コルーニャのシュルショの生徒グループ「パンデイレテイラス・セン・フロンテイロス(PSF)」で手分けして店づくり。まずはトルティーリャづくりのためひたすらじゃがいも(ガリシア語で「パタカ」)を下ごしらえ。
ガリシアでトルティーリャといえば半熟。生徒仲間のベロの作るトルティーリャが最高に美味しい。ちなみにこの日のドレスコードはエプロン。チェックのエプロンはガリシアの年配の女性を表すモチーフでもある。
食べ物のスタンドには野菜、果物、パン、菓子、エンパナーダ、トルティーリャ、タコなどが並ぶ。さくらんぼを買ってみんなにお裾分け。500gでたった2ユーロ。つまみ食いしながら準備が進む。
店が準備できると出店者自ら飲んだり食べたり演奏したり、踊ったりが始まった。これはショタ/xotaあるいはホタ/jotaとも言う3拍子のリズム。ショタとムイニェイラは2列で向かい合って踊る。
リゾート気分満載のビーチにもチラシを持ってイベントの宣伝に繰り出す。言うなればチンドン屋(笑)
地元の吹奏楽のグループBanda de Música de Sanxenxoの演奏も。これもショタ。
シュルショが率いるパンデイレテイロス・セン・フロンテイラスのムイニェイラ。 踊っている小さい女の子は日本で言えば小学校2年生くらいかと思うけれど、ガイタ(バグパイプ)も吹くしもう、本当に羨ましい。
そんなこんなで午前11時から午後9時台までずっとエプロンして店番して、踊って歌って、たまに会場脇の海に入って、食べて飲んでおしゃべりして、出店者自ら楽しんでる。楽しむことにかけてはみんな天才的だし、本当にタフ。
イベントのファイナルは我が師匠シュルショ・フェルナンデスと(メルセデス・ペオンのお兄さんでもある)キケ・ペオンのユニット「ラディオ・コス」のコンサート。コンサートの前にキケと話す。キケはア・コルーニャの文化協会の「シャカランダイナ」で長年バイレを教えてきたみんなに尊敬されている先生で、私にも先生のように接してくれる。キケが踊りの輪の中にいると、みんなキケからステップを習いたいと思ってわっと踊りの輪が大きくなる、そんな人だ。今回サンティアゴでガリシア語やバイレを習い始めることなどを報告したら喜んでくれ励ましてくれた。
夜10時いよいよコンサートが始まる。レギュラーサポートメンバーとして、ガイタのペドロ・ラマス、バイオリンのニコライ・ベリコフ、アコーディオンのシャン・パンピンもステージに上がる。ニコライはReal Filharmonía de Galiciaでクラシックもやるしジャズもやるし、ペドロ・ラマスもオルケストラ・ジャズ・デ・ガリシアのプロジェクトを立ち上げたり、ガイタのブディーニョと共演したり、とにかくみんなあちこちで引っ張りだこの天才たちだ。
Radio Cosは聴くバンドじゃなくて踊るバンド。以前に3回ライブを見ているけれど、なぜだか私が見たときはいつも観客が踊らないか、フェスティバルの中のライブで、ラディオ・コスもガリシア音楽もよく知らなくて、ただお祭りに来て飲んで騒ぎたいだけの客が最前列で適当に踊っていたりして、そういうときの演奏はどうも消化試合みたいにボチボチになる。でも、今回は最高だった。みんな踊りまくったし、私も全く踊れないけど、日本から来た友達を連れて踊りの輪の中に飛び込んで楽しんだ。
終了後のオマケ。日本から来た友達がガイタを吹いてみたいと以前から言っていたので、ペドロに頼んで吹かせてもらった😀
ついでに一曲吹いてもらったよ。ありがとう、ペドロ。
そんな感じで日付が変わった頃お開き。日曜の夜は早い。師匠と何人かの仲間はサンシェンショに泊まらず、ア・コルーニャへ帰り、私はサンシェンショでもう一泊して、明日ア・コルーニャでまた師匠に会って今度はプライベートレッスンだ。
サンシェンショ、最高に楽しかった。みんなに会えたし、海は綺麗だし、お祭りもただのお客さんじゃなく参加させてもらって楽しかったし、日本から来た友達もガリシアの音楽や踊りのエネルギーに触れて喜んでくれたし。いろいろ嬉しくてまだ滞在は始まったばかりなのに満腹な気分。
第3日:海沿いのリゾート地サンシェンショで師匠と生徒仲間と再会
第3日の6月25日(土)は朝、サンティアゴからバスに乗ってリアス式海岸のビーチリゾートのサンシェンショへ。ヨットハーバーもあるちょっとハイソなリゾートタウン。日本にも進出してる服やリビング雑貨のZaraはガリシアの会社で、そこの社長の大きなクルーザーも前日に来てたらしい。バスターミナルを出ると海まで一直線。朝10時過ぎにサンティアゴを出たときはうすら寒かったのに、サンシェンショは真夏の日差し。
明日、こちらの伝統音楽グループ「アビニャドイラ」が主催するマーケットとライブのイベントがあって、私のパンデイレタの先生シュルショ・フェルナンデスとア・コルーニャのシュルショの生徒グループ「パンデイレテイラス・セン・フロンテイロス」も出店&出演するのだ。イベントの最後にはシュルショのバンド、ラディオ・コス/Radio Cosのコンサートもある。それを見に来たってわけ。
日本から旅行で来ている友達と合流してシュルショがステイしているピソへ。前回会ったのがまだ去年の12月末だけど、再会はいつも感激。シュルショは冗談好きな楽しい人だしシュルショの叔母さんも英語で話しかけてくれるので私の友達もリラックス。シュルショが名付け親になっている、生徒仲間の子供2人と一緒にお昼ごはんをいただく。お兄ちゃんは最初に会った2014年には少しぽちゃっとした小学生だったのに、ぐっと体が引き締まって髪型も決まり、女子をドキドキさせるようなかっこいい少年になっていた。おまけに静かで優しい。絶対学校でモテてるに違いない。妹もますます美人ちゃんになって前よりも話しかけてきてくれるのが嬉しい。子供が成長するのは早いなあ。(そして私が老化するのも早い)
夕方少し涼しくなってからみんなでビーチへ。サーフスポットでもある荒々しいア・コルーニャとは全然違う。リアス式海岸の入江なので、湖かと思うくらい波も風も静か。スタンドアップパドルボードとかシーカヤックしたら楽しいだろうね。とはいえ、大西洋の水はチョー冷たくて、何度トライしてもお尻までしか入れない。というわけで、砂に寝転がって日光浴。海では持ってきたクロマーが大活躍。海までは水着にクロマーを腰に巻いてスカートにして、海から上がったらタオルになり、敷物になり。葉山のクロマニョンはさりげないよくかんがえられた柄がお気に入り。旅行には欠かせない。
夜は明日の打ち合わせ。オーガナイザーの事務所に次々と生徒仲間がやってきて再会。イベント会場に貼るポスターを日本語でも作ってと言われて友達が書いた。
師匠(写真前列中央)といるといつもこういう変な写真を撮らされる(笑)普通なのはつまらないんだそうで、師匠といると飽きることがない。オルホを甘いコーヒー味にしたリキュール、リコール・カフェを飲みながら、お喋りしながら、みんなでパンデイレタを叩いて歌って夜中まで賑やか。打ち合わせっていうより前夜祭(笑)。ちなみに夕飯を食べずに飲んでたので、翌朝数人がダウンしてました(笑)
そのあと、夜中だというのにまたまたみんなでビーチへ。大きな半月が綺麗。2人は水着になって夜中の海へ。昼は気温が27度くらいあったけど、夜の気温は13度くらいまで下がるのに。ほんとみんなイかれてる。
そんなこんなでまた長く楽しい1日が終了。明日はお祭りだー。
第2日:休息のち、パンデイレタとバイレとケイマダ
昨日が長すぎる1日だったので、今日6月24日(金)のサン・ショアンの祝日はサンティアゴでゆるっと。朝寝坊して荷ほどきして、部屋を整えて、気がついたら夕方に。これから滞在する土地神さまにご挨拶に行くがごとくカテドラルまで行ったけど、夜のミサは人がいっぱいで入場制限され入れなかった。また来まーす。
サンティアゴ市とガリシア州の観光案内所は祝日でも開いていて色々教えてもらった。自転車をレンタルしてくれるところを聞いてみたり、コンサート情報などを聞いたり(CompostelaHoxeのサイトがオススメだそう)。今夜は夜10時からマサレロス広場でパンデイレタの演奏やタコやチョリソ、飲み物の販売、ハンドメイドマーケットがあるという。演奏のあとにはガリシア名物ケイマダもあるそうだ。行くべし!
祝祭日は観光客向け以外の店は閉めているのだが、パン屋は結構営業しているし、サンティアゴ市の観光局の近くの小さな果物屋さんに開いていた。野菜も置いてあるし助かる。それにしてもスペインに来ると果物が安い!フルーテリアンになれそうなくらい。早速こちらのぺちゃっと潰れたような形の桃をいただく。うまいんだな、これが。
そのあと旧市街をウロウロ。
お気に入りのお店のひとつ、De Cotioはシェルミレス通りにある。ハンドメイドの素敵な雑貨や、ガリシア文化の本、CD、奥には伝統音楽の衣装やパンデイレタなどもある。実は私が大昔、サンティアゴ大のスペイン語研修で3週間ほど滞在したのはこの上の階。当時の1階は小さな食料品店だったはず。懐かしい。
De Cotioの近くのもう一軒のお気に入りはMerlin e Familia。ここもセンスが良く面白いアイディアでつくられたハンドメイド雑貨が小さな店に溢れている。ここにもガリシア音楽のCDがある。
イベントの前に腹ごしらえ。旧市街の中心エリアでスマホの充電をしつつ、wifi借りて、お手頃値段でさくっと海鮮を食べられるところにしたのだが、思いっきり外してしまった。マズイ。こんなに不味いタコを食べたのは初めてかもしれない。「美味しいご飯が食べたかったらwifiを求めてはいけない。」というのが教訓だね。コーヒーとwifiは共存するけど、美味しい料理とwifiは相性が悪いようだ。
気を取り直して、マサレロス広場へ。パンデイレタのグループのステージの両側にハンドメイドマーケットのスタンドがしつらえられ、右手にチョリソやタコやお酒などを食べるスペースがある。
観客が何グループかに分かれて、ステージ前で踊る踊る。私も来週からバイレを習う。こんなふうに踊りの輪の中に飛び込んで一緒に踊るようになるんだと思うとワクワク。
演奏が終わると今度は「ケイマダ」の儀式。ケイマダはレモンの皮やコーヒー豆、砂糖などを入れた蒸留酒オルホに火をつけ、呪文を唱えて悪霊を追い払うもの。
観客にもお清めのケイマダの御振る舞いがありました。浄化で始まった今回のガリシア滞在が素晴らしいものになりますように!
第1日:長すぎる移動とサン・ショアンの「火の夜」
長い1日だった。日本の22日深夜(23日未明)に出発して、サンティアゴの空港にこちらの23日夜9時半すぎに着いた後、本日のお楽しみ、サン・ショアンのお祭りに行った。寝たのは夜中の2時くらいだから、1日の長さが33時間あったよう。ふう。
フライトはマドリードまでがカタール航空で、羽田→ドーハ、ドーハ→マドリード、イベリアエクスプレスでマドリード→サンティアゴ、という経路。マドリード→サンティアゴはイベリアエクスプレス。
カタールは安い割にサービスや機内食がいいので使うのは2回目。今回の機内食はアジアン・ベジタリアン(AVML)をオーダー。これは乳製品含む、卵含まずで、スパイシーなもの。カタールのベジタリアンミールは数種類あって、前回は乳製品も卵もなしのものがとっても美味しかったので今回もまた違う種類のものを試してみた。
最初の食事はチーズ入りのほうれん草のカレーとターメリックライス、人参のこれもカレーっぽいもの(このカラーリングってどこかの国旗?)スパイシーで美味しいが、寝ぼけながら食べるにはちょっと脂っこいかな。乳製品が入るとオイリー度があがるらしい。デザートの人参のミルク煮っぽいものが素晴らしく美味しかった。ハーブかなにかが入ってるのがなんだろうなあ。スペシャルミールはお品書きがないので気になる。
日本に帰る便では、今度は乳製品・卵まで含むVegetarian Lacto-ovo mealを頼んであるんだけど、やっぱりビーガンに変えようか迷う。帰国前はサンティアゴ巡礼路のベジタリアンなアルベルゲでボランティアワークをして、そこのオーガニックでベジタリアン(ここは卵を含む、だったと思う)のまかないをいただけるので、多分それまでの胃腸酷使の生活から回復しているはず。まあ、近くまで行って考えよう。
マドリードでの6時間待ちはfree wifiとPCのおかげで、あっと言う間に過ぎた。通信とPCがあれば、結構いろんなことができるね。マドリード→サンティアゴは1時間。うとうととしているうちに着陸。空港の表示にガリシア語が出てくるとほっとする。chegada(ガリシア語)はスペイン語のllegadaで到着、の意。Saídaはスペイン語のSalidaで出口。
サンティアゴの空港に夜9時半すぎに着いて、市内のバスターミナルへバスで移動、下宿させてもらうサンティアゴの友達と、旅行に来てる日本の友達と合流して、荷物を下宿に置いて、サン・ショアンのお祭りへGO!
サン・ショアンはちょうど夏至の時期にあたる。ガリシアでは焚き火をして火の力で悪い魔女や精霊を追い払う。ガリシア中で焚き火をして鰯を焼いたり、焚き火を飛び越えて邪気を払ったり、オルホという蒸留酒にオレンジやスパイス、砂糖を入れて火をつけてつくるケイマダを飲む、おまじないのようなものがたくさんある。
そんな話を前から聞いていて宗教儀礼のようなものを想像していたのだけど、行ってみたら、近所の人が集まって楽しむとってもジモティなリラックスしたパーティーといった雰囲気でした。クラシックロックのバンドがいて、食べ物、飲み物のスタンドがある傍らに焚き火があって。
邪気を払うのに焚き火を飛び越えるのは奇数回と決まっているのだそうです。大きな焚き火が飛び越せるくらい小さくなるまでには時間がかかるのでの隣に小さな焚き火もあって子供達がぴょんぴょんと飛び越していきます。私と友達は小さな焚き火のほうを3回ずつ飛んでみました。邪気よ、飛んでけー。
火には悪いものから守る、浄化する意味があるんだね。私にとっては、これからの2ヶ月の滞在を始めるのに素晴らしい儀式のようでした。感謝。
ゼロ:8度目(?)のガリシア行き
只今、羽田空港。6月22日23時過ぎ。今回のガリシア行きを機にブログを始めます。
初めてなので、わからないことだらけだけど、とにかく伝えたいと思うことは毎度日々たくさんあるので、とにかく書き綴っていこうと思います。そのうちに何か明確になってきたり、誰かの機微に触れるようなことも出てくるかもしれない。それを期待して。
今回はたまたまちょっと長めの滞在。留守宅の管理は家族と友人に頼んだので一安心。たまに風通しに来て、ついでに葉山の夏の海を楽しんでもらう、いいエクスチェンジになってるかな。
今回のガリシアはサン・ショアンのお祭り中に突入して、そのあと、ガリシアの伝統のダンスを習い、ガリシア語を習い、いつものパンデイレタと歌を習い、最後にサンティアゴ巡礼の宿のボランティアスタッフ「オスピタレロ/オスピタレラ」をちょっとやってみる。ということでいつもよりさらに内容満載。前回の去年12月も感動したこと、楽しい事、すごいこと、考えさせられる事のオンパレードで興奮しすぎて眠れなかったけど、今回はまた、どうなるかな。毎回ちょっとずつ何か課題とかテーマみたいなものが違う気がしていて、それがまた面白いところ。
さて、フライトまであとちょっと。明日はサンティアゴに到着して火渡りとイワシだっ。